汕尾独特の軽食
  2006-10-17

  汕尾の蝦蛄

  新鮮な蝦蛄を味わわないうちで結構と言うなと言った人もいる。汕尾の蝦蛄の作り方はいろいろある。例えば、油揚げや蒸しや茹でなどによって、いろいろな味がある。海から取れたての新鮮な蝦蛄を塩に一、二日で、つけてから、直接食べるのは汕尾独特の食べ方だ。汕尾人は男女老若を問わず、大好きだが、ほかの地方の人々はなかなかこういう食べ方を試む勇気は出ない。こういう作り方によって作られた蝦蛄はサツマイモの入ったお粥によく似合う。

  昔、貧乏な人しかこういう食べ方で蝦蛄を食べなかったが、お金持ちはこのような作り方を横に向いたそうだ。改革開放以前、こういう漬けた蝦蛄は宴会の食卓の上で見られなかった。改革開放の後、生活の向上とともに、飲食に対して人々の新しい考えも現れてきた。漬けた蝦蛄やカニや蝦や野菜などもだんだん滨海レストランのメニューに姿を現して、お金持ちの大好物になった。そのため、今、汕尾市のほとんどのレストランにはこういう漬けた蝦蛄を気軽に楽しむことができる。晴れた宴会でも、お客さんはご馳走を食べた後、サツマイモの入ったお粥と漬けた蝦蛄を食べるのは珍しくない。そうしなければ、何とか満足できない。

  汕尾の昔話によると、蝦蛄の祖先は歴史上で重要な役割を果たしていたそうだ。宋朝の末、元の兵隊は南地方を攻めた。宋の端宗は陆秀夫という忠実な大将の保護によって逃げ出だして、海陆丰の甲子港というところに着いた。しかし、元の兵隊はすぐ追い付いた。その時、凪いだ太平洋は行き手に横たわったが、渡り船はなかった。宋の端宗は「天绝我也。何人能救驾,是将皇位让之」と嘆いだ。と、太平洋はすぐ時化った。一匹の蝦蛄のボスは無数な蝦蛄を従えて、岸にやってきた。彼らは端宗の前に行って、お辞儀をした。間もなく、蝦蛄たちは数百の漁船になって、宋朝の大臣達を乗せて、海の向こうまで送った。弦の兵隊が追い付いたとき、宋朝の大臣達はもう安全に海の向こうに着いた。彼らは蝦蛄達に礼を言った。蝦蛄のボスは急に「启奏万岁,还未赐封呢?」と言った。宋の端宗は先自分が言うことを思い出した。彼は思わず帽子をはずして、海の中に投げ出した。それから、蝦蛄たちの頭は皇帝の帽子のようにかわいいのだ。今まで、甲子港の大胆山の上に記念碑がまだ残っている。

  蝦蛄の正式の名前は管蝦や琴蝦だ。甲殻綱口脚目の節足動物。体長15センチメートル内外。ややエビに似るが平たく、第二胸脚はカマキリの前脚のような鎌状の捕脚となる。体色は灰色がかった淡褐色。四季を通じて、内湾の泥深い干潟に穴をあけられる。春は蝦蛄の旬だ。この時に取れた蝦蛄は大きくて、身の中に卵黄が入って大変美味くて、「红心蝦蛄」と呼ばれる。蝦蛄は多種な蛋白質とビタミンタップリな海産物で、栄養が非常に高い。精力をつけて腎臓を補うことや血行をよくすることには優れた効用を持っている。漬けた蝦蛄はもっといい。蝦蛄の食べ方は食べたことがない人にとってはチャレンジだ。指が指されて血が出る人もいる。汕尾には「先按摩,后脱衣,双手要并举」と言う食べ方がある。即ち、まず、手で蝦蛄のみをやわらしくする。それから、両手で蝦蛄の殻の端を押して、硬い殻を取り除いた後、召し上がれる。

  汕尾菜稞についての面白い話

  軽食はいろいろある。食べ方もいろいろあって、それぞれ、地方特色を持っている。海辺にある汕尾市の軽食は昔から遠近に名を揚げる。四季を問わずに、昼になると、さまざまな露店が現れて、独特の軽食が人々の前に出る。甘いものや、塩辛いものや、酸っぱいものや、辛いものが何でも気楽に手に入れられる。蒸したものやいためたものや焼いた物や揚げたものなどがいずれも人々の食欲を誘う。よく見られるのはラーメンとか、はるさめとか、肉まんとか、ギョーザなどだ。一番汕尾らしいのは種類豊かな菜稞だ。例えば、包括猪肠稞、重糕稞、菜头稞、薯粉稞、油炸稞、鼎溜稞、升煽稞、鸭蓝稞、铜盘卷、发稞、菜包稞、碗仔稞等等。その他、稞条湯も糯米丸や尖米丸も汕尾の名物だ。このような菜稞は米の粉を皮に、落花生や干しエビやひき肉やスルメイカなどを餡子にして作って、蒸した物だ。食べる時、油で揚げると、パリパリして、食感が非常にいい。液体状の米の粉と蝦やひき肉や野菜などをかき混ぜて一つずつ蒸したものは重(叠)糕稞と言う。食べる時、醤油をつけてる。油炸稞や菜头丸とは細切りの大根やにんにくや蝦やスルメイカと液体状の米の粉をかき混ぜて、で油揚げしたものだ。ポン酢をつけて食べると、パリパリして、食欲を誘う。このような莱稞は材料に気を使って、美味しくて、安い上に、種類も多様なので、大人気だ。

  汕尾で、お昼は菜稞を食べるのラッシュアワーだ。これは昔からよく見られる風景だ。昔々、汕尾はまだ浜辺だった。漁業をやる人々は福建省や潮汕地方や香港から出発し、ここを通りかかる時、いつも、岸に上がって、一休みしたり、網を干したりしたようだ。だんだん、市が現れたきた。お昼に家に帰って食事をする漁民達は市で点心を買って食べた。このように、菜稞はできた。しかし、改革開放以前、出漁する漁民や外出中の村民のような人しか、家に食べるのは無理なので、仕方なく、市で菜稞を買って食べなかったのだ。今頃、事情がだいぶ違って、生活の向上に従い、自分で料理を作りない人はたくさんいる。こういうひとは菜稞を買って楽しむのを習慣にしてきた。

  汕尾の擂茶

  夏に入ると、擂茶を食べるのは盛んになった。親戚や友達が訪問してくる時、客好きの海陆丰の人々は自分で擂茶をつくって楽しませるのは普通だ。

  擂茶

  擂茶は咸茶とも呼ばれる。全国で擂茶を食べる習慣が持つ所は多くない。広東省の汕尾市と揭西县、それに、湖南省や江西省などにしかこういう習慣がある。擂茶を食べる時、まず、緑茶や落花生や胡麻などを特別な鉢に入れる。それから、棒でつぶしてから、塩を少し入れる。最後、沸いたお湯をかけると、召し上がれる。海豊県や海辺あたりの町で、人々が味の濃い擂茶が好きなので、食べる時、広東セロリや葱やニンニクや蝦などを入れることもある。陆河や揭西で炒めた落花生を加えて、漬けたにんにくと一緒に食べるのは珍しくない。有名な民間文学者である钟敬文の故郷の海丰县公平镇で普通は炊きたてのご飯を咸茶につけて、いろいろな調味料で味をつけて点心としても食べる。こういう食べ方は「饭茶」と呼ばれる。

  擂茶を食べるのは昔から見られる風景だ。清代の時、茹敦和という人の「越言释」と言う本には「江广间有擂茶,是羌盐煎茶遣制,有存古意。」と書いてある。清代の挙人である黄汉宗も「海丰时俗尚咸茶,牙钵擎来共一家,厚薄人情何处见?看她多少下芝麻」という詩を作った。

  真夏には擂茶を食べるのは暑気を払って渇きをいやすことができて、唾液の分泌を促進して肺を潤して、また元気を回復させて目が覚める脳、疲労を取り除く。冬には新陳代謝を促進することや防寒に大変役に立つ。

  生地水蟹汤

  宴席を行う時、汕尾の人々が生地水蟹汤を最初に食卓に出すのは普通だ。広東の風俗によって、最初に出すのはスープだ。普通、この黒いスープは白い食器に入れて、中には赤いカニの足が見える。スープが食べ終わると食器の底に生地は幾枚のが顔を見せる。スープは苦くて、塩辛くて、なかなか独特だ。生地は味が苦く、保健には役立つ。