広東醒獅
  2006-10-18

  獅子舞をする習慣は全国各地で見られる。北の地方では四本の足が地面につく西域獅を使って踊るが、広東では二本の足しか地面につかない醒獅で獅子舞をする。毎年正月14日に催す大瀝狮子大会は醒獅のスポーツの競技の活動だ。その時、各村からの醒獅はここに集まる。南海県の近くの各鎮のたくさんの獅子のチームがここに集まる。例えば、三水や順徳や花県などのチーム。一番多い時に醒獅は480匹に達して、それぞれ芸を捧げて、青を採取して武芸の試合をして、武術などに出演する。銅鑼と太鼓の音が響き渡って、爆竹の音は絶えずに耳に入る。観覧にやってくる人々の人数が十万あまりに達して、賑やかだ。南海は醒獅の故郷と言われる。南海の醒獅の造形も出演の風格も北の地方の獅子舞の風格とだいぶ違う。大きな口にパッチリした目に長い髭に一つの角という獅子の頭の造形は大げさで威勢がいい。こういう造形は昔話に出た獣を象ったものだ。色つきの絵で关羽の顔や張飛の顔やトラの顔などを描いた。踊る時に獅子を弄ぶ男(普通は大头仏と呼ばれる)がいる。この習慣は明の時代の末から現れたという。明末から清の時代の初期にかけて、佛山にはもっぱらく醒獅の頭を作る仕事場はすでに出来た。獅子のチームのメンバーは各村の人々によって成り立って、人数は十数人から数十人までだ。試合に出る時、服と装飾具は統一されていて、メンバーは立ち回りの旅支度を同一で、腰は色とりどりのテープをくくって、ナイフとフォークの棒を手に持って、ライオンの後で銅鑼のドラマーに連れ立つ。ライオンが前部と後部に分けられる。前者は獅子の頭を挙げて、後者は腰を曲げて獅子の下でかぶせる。この二つの部分は普通獅子の身と獅子の尾だと見なされる。獅子の頭は獅子舞の見所と言える。演出する時に、「用狮郎」と呼ばれる人は仮面を被って、観衆を笑わせる。普通、「落洞」、「吃青」、「醉青」、「醒青」、「雄狮攀崖」、「狮子滚球」と言う動作を演じて狮子が下山するときの状態を現す。獅子舞には「七星连环桩」、「狮子上楼台」、「采青」というやり方がある。中でも、「采青」には、竜門青や橋底青や太子青や鋼線青などのやり方がある。「狮子青」というのは獅子舞大会の責任者が緑色の木の葉や菜の葉で作ったものだ。中にはミカンや柚子も入っていて、縁起がよくて賞を与えるという意味が含まれる。「狮子采青」の時にいくつかの難しい動作でチームの腕を観衆に見せる。賞金が多ければ多いほど、もっと高く吊るされる。獅子舞をやる人は獅子の頭を挙げて、鋼線などを踏んで、しばらく演じて観衆たちを楽しませた後で「青」を取る。「采青」の後で武芸を演出したり、責任者が賀砲を鳴らしたりして、大会が開きになった。醒獅大会で各地からの獅子が集まって、通りに沿って舞い始める。家々と「采青」したり、路傍に台を立てて演技を見せたりする。朝から夜まで、街は獅子で一杯なので賑やかだ。朝から、各道の要員は相前後して殺到して、先に自由な出演、それから集まって試合をして、5つの方面から採点する。「开势收桩」は10点を、「套路编排」は25点を、「动作难度预约完成」は30点を、「形意」は15点を、リズムは20をしめて、総計すると100分だ。得点の高い者は優勝だ。難しい単項動作によって10の優勝者を選んで、大会から優勝旗と金豚(焼き豚)などを賞品として渡すのやり方もある。優勝者は醒獅界で名高くなるので、村に帰った後で祝いするのはもう習慣になった。

  近日、広東省は国家無形文化遺産として申告する民間芸術のリストを確定した。「遂溪醒狮」は唯一の醒獅の芸術プロジェクトとして名を揚げた。「遂溪醒狮」は「佛山醒獅」、「東莞醒獅」などの多くて著名な醒獅を打ち破って申告する行列に入るにはいくつかの原因がある。一つは「遂溪醒狮」は南方と北方の獅子舞の精華を吸い込んだ上に、伝統な技術を土台にして、次々と新しい内容と動作を増やして、伝統的な醒獅芸術に新風を降り込んで、世界に名をとどろかす。

  もし、申告に成功すれば、「遂溪醒狮」は正式に中国のブランドのラベルを貼り付けて、同じく国連教育科学文化機関のデータベースに入る、全世界のブランドになる。