潮劇はタイに伝わってから、もうすぐ300年になる。史金纳の「古代のシャムの華僑」という本に大城の華人の社会は主に商人や官員や医者や職人や芝居(潮劇)の役者などによって成り立っていると書いてある。つまりタイの大城王朝(1350―1767)の時期に、潮劇はすでに存在した。聞くところによると、1685年、その時のタイの大城王朝はシャムとポルトガルとフランスの付き合いを祝うために宴会を開催した。最後から2番目の出し物は潮劇だ。第二次世界大戦後、潮州地区の農村から大量の人々は次々とタイに移住した。潮劇の内容は普通「历尽艰辛、否极泰来、飞黄腾达、家眷团圆」につながっているので、故郷を遠く離れて、異国の地で苦難に創業して、今後発達することを求めたい潮州人にとって、共鳴を生みやすい。そのほか、潮劇の自身の保存した民族の昔風の弦楽は更に深くタイの民衆を引きつける。そこで20世紀50年代、潮劇はタイで黄金時期に入った。その時、バンコクの華人の集中居住区である輝華力路に主な潮劇の劇団がいくつかある。例えば、中一枝香や老怡梨や老梅正や中正顺や老宝兴など。これらの潮州劇団は輝華力路の天外天辺りで互いに競争して、一年中途切れなくて上演して、毎回、ほとんど満員だ。
今日、近代的な映画とテレビの技術の発展や普及に従って、潮劇はタイでの黄金時代をすでに終えたが、依然として存在している。以前、輝華力路の天外天あたりで太鼓の音が響き渡って、灯りがきらめく場面はとっくに消えてしまって、華人の子孫も演技者になりたくないが、年上の潮州人は依然として潮劇が好きだ。いくつか社会団体の活動で、度々人が即興で1曲歌うことになおある。輝華力路の近くの店に、潮劇の録音テープやビデオテープやレーザーディスクは依然としてよく売れる。「尖脚劇団」と呼ばれる移動の潮州劇団は内陸あるいはバンコクの各神廟の中で、人が神に向って前でお礼参りをするときに、招待に応じて公演して興を添えにくる。面白いことに、今日、これらの潮劇劇団の役者はすでに潮州人ではない、かえって本場のタイ東北部の人族人だ。彼らは潮州の方言がわからないで、歌詞の上でタイ語の発音だけを付けて、筋道に合っていることを歌う。
1979年、中国広東の潮劇一团は中タイが国交を樹立した後で、初めてタイで公演した。その後、招待に応じて中国潮劇団は次々とタイで公演した。しかし、潮州人の後代はすでに次第にタイ化した。そのため、潮劇を鑑賞できる者はすでにますます少なくなって、潮劇は恐らくタイで昔の光り輝くことを再現しにくい。しかし、中国の伝統の地方芝居の一つとして、異国で持続的に栄えているのが中国の芝居の歴史の中で確かにめったにない。
経典の作品
伝統の芝居は内容が豊かだ。南劇や明清の伝奇をもとにして改編したものもある。例えば「琵琶记」、「白兔记」、「闹钗」など。地元の昔話を基にしたものもある。例えば、「井辺会」、「闹钗」、「柴房会」、「金花女」など。ファッション劇というタイプもある。例えば《林則徐》、《上海事件》など。
「柴房会」という芝居は潮汕地方ですごく有名な昔話を基にして改編した演劇だ。
商売人の李老三は夜旅館の柴の部屋に泊まって、「幽霊」である莫二娘に会って、初めはあわてて堪えなかった。後は莫二娘は悪漢である陽春に害されて惨死したことを分かったら、すぐ躊躇わず承諾して一緒に扬州に言って、訴状に訴えて冤罪をすすぐと言う話だ。
「张春郎削发」:潮劇と言えば、すぐ頭に浮かべるのはこの芝居だろう。宰相の張崇礼の一人っ子である張春郎は才知に富んで、、建国の元勲の山東の鲁国公に推薦されて、皇女の夫として招かれる。張春郎は結婚のために洛陽から回京する途中、青雲寺と言うお寺によって少年時代の親しい友人の半空和尚をたずねる。ちょうど婚約者の双娇王女が寺に行香に来た。好奇心が駆り立てるため、和尚の格好をしてお茶を捧げて王女の姿を覗いた。思いがけず気がつかれて、王女は婚約者であることが分からないで、常軌から外れて殺したいと思って、長老法のおかげで、それに剃髪して僧になって澄んだ。このことは皇族の婚姻の大典に悪い影響をもたらしただけではなくて、張家の後代を絶つ恐れもあって、双娇王女一生を孤独に結婚できないであわる心配もでた。一時に皇后、王女と張相国はむちゃくちゃになった。皇帝は「佛门也归皇门管,佛法也随王法方圆」と言うことを充分に知っていて呑気だ、張春郎の読書人の硬骨と双娇王女の皇室の威厳は衝突に耐えた。最後、双娇王女はついに黒髪を切って、春郎の贈り物としておくった。二人は夫婦になった。この演劇は1982年12月に広東潮劇場一团によって初めて公演された。シナリオは1985年に広東省魯迅文芸賞を得た。1984年カラーのワイド・スクリーンの映画に撮影させて、国内外で発行された。
「彩楼記」は今でも人々好まれる優秀な作品だ。宋の時代、丞相である劉懋は娘の月娥に高い色彩の台を立てて、よい婿を自由に選ばせた。月娥は富貴を慕わないで、ただ才能と学問を重視するので、貧しい秀才の呂蒙正を選んだ。劉懋は釣り合わないという理由で賛成しなかった。月娥は父の命令になかなか従わず、とうとう家から追い出されて、蒙正同と一緒に粗末な家に帰った。寒い冬に、夫婦は散々と飢えと寒さに攻められた。月娥は神を祭るために金のリングでブタ肉を換えると思っていたが、思いがけず食肉処理業者はリングは偽者と思って、ブタ肉を売わなかった。夫婦は憤懣を感じる際、心の優しい劉夫人は米やお金を送って、更に蒙正に学問するに必要な資本を打ち込んだ。後、蒙正は状元になった。最後、一家団欒のハッピーエンドだ。 |